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  • 人間の基本的欲求

    今更ながらデールカーネギーの人を動かすだかなんだかって本を読んでいる。

    名著中の名著と名高い。
    こういう、人の善意だとか内面を深く掘り下げる思考を重ねたおじさんの言葉が私は大好きなんだ。

    まだまだ序盤しか読んでないが、面白い。

    人の欲求の中に「承認欲求」というものがある。
    そしてそれは人の三大欲求と並ぶ欲求のひとつだと。

    それを見て私はビックリだった。

    睡眠、食欲は人間になければ生きていけない。
    それと同列に「承認欲求」を捉えるという考え方が新しく感じた。(名著だから昔からの知恵なんですけど)

    まあとても正直な話、セックスしなくても全然健康的に生きることができる。
    三大欲求に性欲がいるけれど、お前なんで睡眠欲・食欲と並んで三大欲求顔してるの?ってずっと思ってるんですよね。私。


    だが、誰にも承認されずに生きることはつらい。

    友達もおらず、職場では貶されてばかり。
    そんな人生、心を病んでもしかたない。

    だけどセックスなくても健康的に生きられます。
    私が生き証人です。堂々とする話じゃないですけど。
    だから人間の三大欲求はもう睡眠、食事、承認でいいと思います。知らんけど。


    でも承認欲求を満たすって意外と難しいですよね?

    ただ、朗報があります。
    そんな承認欲求は猫がいれば満たされるんです。
    家に帰るだけで「ウワッ!」って叫んで喜んでくれる。
    そんな姿を見て幸せな気持ちが溢れないわけがない!

    こんなに心を満たしてくれる愛おしい存在。
    それに報いるためにも猫を幸せにするくらいの甲斐性も私は見せなくていけない・・・。
    そのために今日も生き、働き、猫と遊び、猫のお世話をする。

    人間は満たされない思いも多いけど、
    たくさん寝て
    美味しいものを味わって
    その隣に猫がいれば幸せに暮らせる。

  • 独身女と猫の相性100%

    猫がきてから人生が楽しい。
    トキソプラズマに感染して脳がやられちゃってるんじゃないかと思うくらい普通に楽しい。ビビる。

    なんのために生まれて
    なにをして喜ぶ
    わからないまま終わる
    そんな人生だった私ですが

    猫がきてから人生の意味を知った。
    君と出会うために生まれてきたんだね、私は。

    一生一緒にネコビディア。

  • 人間の身体の秘密

    気付いてしまった。
    なぜ、私には2本の腕があるのか。

    それは猫2匹を同時に撫でるためだった。
    私の手に撫でられ、同時に腹を出す猫をみてようやく気付けた。

    これに気付けただけでもこの世に生まれた意味があった。


    ありがとう、ねこ。

    私の生きる理由たち。

  • 何が好き?金が好き

    私はお金が大好きだ。
    預金残高のカンマが増えるのが大好きだ。

    だけどお金は私をそこまで好きじゃないらしい。

    猫が満足に走り回れるくらいの快適な家が欲しいわ~


    職場で、聞いてはいないのに社員が年収を教えてくれる。
    私は派遣なので薄給極まれりなのですが、直雇用はやはりそれなりに貰えるようです。

    就職活動や学歴取得を頑張った結果だなと思うので「へーすげー」くらいの感覚だった。
    だけどジワジワ焦りが湧いてきた。

    私の給料、低すぎ・・・!?って口抑えてます、今。

    別に生活できるからいいんだけど、
    やはり人との比較は不幸の始まりとはよく言ったものですね。

    お金はあればあっただけ嬉しい。それは本当に間違いない。
    薄給でも全然楽しいけど、お金は全然大好きなので。

    そこで、私は私の焦りや羨望の原因を考えてみる。

    私の焦りはやはり「お金が人よりない」ことへの不安だろう。
    私は人と違うことが恐怖で仕方ない。

    自分が白だと思っても、みんなが赤だと言えば「ン、えと、、白だと思ったけど赤の可能性高くなってきたな。」と言って赤である根拠を探しまくって赤選ぶのが私です。
    俺はそういう人間だ。柔軟性の塊という名のブレ人間。


    あとは自分が”平均以下”と実感すること自体、人間の恐怖なんだろうな。それ大きいかもしれません。
    最低でも中の上でいないと不安なんだよ。な。

    進学校で下位とるより、バカ校で上位とってる方が幸福度高いってやつ。それは本当にそう。


    あとは、日頃ちまちま行っている節約に虚無感が芽生える。

    住居に関しては結構我慢しているので、そこが一番虚無。
    あと、トリマで300円のアマギフ稼いでコスパ悪すぎわろたと今ふと思いましたね。

    そして私が数年かけて貯めた貯金も半年で吹き飛ばせる威力を持っているという虚無&恐怖。


    ただ食費の節約なんかは割と楽しい。
    食べたいと思った豪華な料理を代替食材使って美味しく作るとか結構好き。
    あと昼飯に白米とゆで卵2コっていう馬鹿弁当を持っていき公園で食べるのも楽しい。

    なんなら普段質素な食事していると、一か月に一回とかの安チェーン店の外食が心から楽しめる。
    そこだけは貧乏が人の心を豊かにすることもあるかもしれない。

    私は欲望の解放のさせ方が、じょうずっぴさ・・・!(食に限る)


    まあ、人間って満たされたり満たされなかったりしながら生きていくものですよね。
    昔は”満たされない”ことをとてももどかしく惨めに感じていたけど、今はむしろ”満たされる”ことが特別なんだと気付いた。

    満たされない思いがある、それこそが人生かなと思う。
    だから、今いる友達にも感謝が湧いてくる。
    周囲の人に優しくされるだけでとても幸せな気持ちになれる。

    ”満たされない”ことをベースに生きていると、
    改めて自分が周囲に与えてもらっているものの多さに気付かされる。

    加藤浩次も言ってました。
    「この状況、当たり前じゃねえからな!」って。その通りです。
    知らんけど。


    少ない金で、大きな幸せ。それこそコスパ最強っすね。
    でも、全然大きな金も欲しいです。私は。

  • コンプレックスを隠すということ

    自分にはコンプレックスがある。
    今の自分自身の状況だ。

    それを必死で隠して生きている。


    だが、”隠す”ということは
    「そのコンプレックスがバレたら人から軽蔑される」
    という思い込みを強化することらしい。

    他人を非難しているとき、その内容がその人の持つコンプレックスだという言葉を聞いたことがある。
    なるほど、その道理でいくと正しい。

    無理してコンプレックスをさらけ出さなくてもいいが、
    そのコンプレックスが原因で周囲から軽蔑されると怯えることもない。

    案外気にしていないものだから。

    そしてそのことを気にして周囲と関わるのを避けたとき、
    「このコンプレックスのせいで私は人と関われない」
    という思いが強化される。


    人と関わって傷つくのは怖い。
    だけど、人と関わると温かい幸せを感じる。
    優しい世界で生きていきたい。

  • 人見知りの境界線

    私は自分のことを人見知りだと思っている。

    というより、人と関わることは割と好きなのだが慣れるまで緊張感が強い。

    電話対応をすると緊張から足元に水たまりができるのではないかと思うくらい汗が出る。
    実際に足に汗が伝うので「漏らした?」と勘違いするレベルだ。

    それを考えると、やはり苦手意識というか・・・過緊張があるのではないかと思っている。


    そして自分のオドオドした態度を周りも気付いているのかと思っていたがそうでもないらしい。
    自分は浮いているのではないか、と普段から心配や不安を抱えているのだが「堂々と、飄々としているように見える」と言われた。(お世辞かもしれないが)

    そうすると疑問が出てくる。
    果たして、私は本当に人見知りなのか?・・・と。

    普段関わりのない人に話しかけるのが怖くて仕方ない。
    関わりのある人にも話しかけるのを躊躇するし、軽口飛ばして「今のは馴れ馴れしかった!」と後悔することも多い。

    だが、もう子供でもないのでそんなことも言っていられない。

    仕事では電話に出なければいけないし、顔も知らぬ人ともメールでやりとりをしなくてはならない。
    「失礼のないように・・・」と意識して毎日汗を流しながら言葉を探している。

    そしてやらかして大汗をかく。

    また友達ですら気軽に連絡をとることができない。


    書いてて思ったが、これは人見知りというよりコミュ障や対人不安症の部類・・・?

    だから人に対して臆せず話しかけたり、連絡をとったり、遊びに誘ったりができる人に憧れを持っている。
    私も自然とこんなラフな行動ができるようになりたい・・・!

    この性格で一歩踏み出せなかったことがたくさんあった。
    だから、最近は「仲良くなりたい」と思った人に関わるように頑張っている。

    もう大人なので人見知りなんて言ってられないからね。
    でも人見知りを理由に殻にこもるよりも、楽しい。

    ドキドキして汗が止まらないけど、これはこれで楽しいんだ。

    私は向上心を持った人見知りなのかもしれない。
    でも頑張り続けているといつの間にかそれが普通になって、頑張らずともできるようになる。それを期待している。


    それでいつか気軽にメールや電話ができる人間になれたら気が楽になるだろうか。
    でも、気を遣うことも大事だから慣れすぎない自分もこれはこれでいいのかもしれない。

    友達と気軽に電話くらいはできるようになりたいけど。(笑)

  • 職場での人との距離感

    職場では、人との距離感をふと考えることがある。


    一緒に話してて楽しい人だと、
    仲良くなりたいと思う反面・・・あまり仲良くなりすぎると働きにくくなりそうという不安も感じる。

    私は転職経験者だが、以前の職場でかなり仲良くしてくれてた人がいた。
    その人は面倒見がよくて、話が面白くてとても好きだった。

    けれど、最後の方は愚痴の多さに参ってしまった・・・。


    多分、近づきすぎずに程よい距離感のままだったらしんどくなることもなかったんじゃないかと思う。
    人にはない発想があって面白かったし、ネガティブな話題もウェットに富んでいるから聞いていて飽きなかった。

    でも毎日聞いていると、気持ちが落ちる・・・。
    態度にも出してしまったと思う。それが今でも後悔だ。
    その人は繊細な部分もあったから、本当に・・・。


    その教訓を生かして
    「この人少し苦手かも・・・」と思ったらその人と距離をとるようにしている。
    ”嫌い”が確定すると、その人のやることなすことをネガティブモードで捉えるようになってしまう気がするから。

    人の好き嫌いって0か100かではなくて、細かい数字が日々変動するものだと思う。
    しかもその変動は自分の機嫌とかも関係してくる。

    自分に余裕があるときはどんな人に対しても”好き”が増えて優しくしたくなる。

    だから自分の機嫌がいいときに関わるのは、相手にとってもいいはずだ。
    よくない態度をとってしまう自分も許せないし、ウィンウィン。


    でも落ち込んでいるときに話して、気付いたら幸せな気持ちにさせてくれる人もいるんだよな・・・。
    職場でもプライベートでも、そんな人がひとりでもいるってすごい幸せなことだ。

    じわじわとくる気遣いと励ましの温かさが本当に幸せ。
    そんな人間に私もなりたい。

  • 猫さえいれば私は幸せ

    猫と生活してると、本当に毎日幸せだ

    人間と長時間一緒に居続けるとイライラするのに、
    猫と長時間一緒にいても幸せしかないのはなんなんでしょう?

    猫は見てもよし、話してもよし、触れ合ってもよし。

    猫は最高だ。
    人間は、ちょっと・・・嫌になるときありますね。

  • ホルモンの奴隷

    人間の気分なんて結局ホルモンであったり、身体が作り出す物質で決まる。

    そう考えると、私ってなんなんだろう。
    ホルモンに操作された肉塊?
    ホルモンだって肉塊の一部でしかないか。

    脳内物質を制する者は、幸せになれる。


    惨めな状況だったとしても
    その人がニコニコしながら「人生が楽しい。感謝の毎日だ。」と思って暮らしていたら、きっと幸せなんだから。

    幸せも考え方ひとつでいくらでもひっくり返るのかもしれない。


    コップに入った少ない水を見て、
    「このコップには空気がたくさん入っている」と捉えたら面白い

    人生って意外とそんなものだ。

    己の癇癪や虚無すら楽しめたら大大大大大勝利!
    ってやつです。

    私はなりたい。WHOが定義する健康な人間に。

  • 不安を越えろ!

    ここ最近は生理前なのもあって、割と落ち込みやすい気がする。

    だが、同時に長年生きているおかげで対処法も身についてきた。
    なんだかんだ言って、「ホルモンバランスの言いなりになってるー!」って自分を俯瞰してみるのが一番よかったりする。

    イライラしても、落ち込んでも
    周りに迷惑かけなければいいのです。
    自分の中で鬱々とする分には問題ない。

    感情がどうしようもなくなるとトイレに行き、無心になって深呼吸したりする。

    自分がちゃんと人間やれているのか不安になることが多いんだけど、私はもともと不安型で神経質なところがあるらしく。。
    私が捉えているよりも現実世界はもっと明るいのかもしれないと思うと、少し希望が持てる。


    散々己を恥じているけど、周りはあまり気にしていないものだ。